アンコールワット+夕日鑑賞ツアーに参加しました(後編)
- 2015/04/12
- 22:39
アンコールワットには江戸時代の平戸藩士、森本 右近太夫(もりもと うこんだゆう)の落書きがある事は有名ですが『何のために行ったの?』『どうやって行ったの?』『その当時はどうだった?』『言葉は?』など本人が居たら聞きたい事が沢山あります。
寛永9年(1632年)にカンボジアに渡った理由としては『父の菩提を弔い、年老いた母の後生を祈念するため』と言われていますが、1632年と言えば徳川秀忠が病死し家光の政治が始まった時代です。前年に朱印船に乗る事ができたのでは無いかと推測されますが、もちろん直行便がある訳でもなく何度も船を乗り換え数か月かかってカンボジアに到着したのでしょう。
1633年から鎖国政策と海外渡航の禁止が始まったので海外に行くには調度良いタイミングだったけど、帰国直後から始まった鎖国政策のため渡航した事がバレないよう名前も変え、晩年はひっそりと生活していたと言われています。
森本氏の落書きは全部で3箇所に書いたと言われていますが、カンボジア内戦時にペンキで塗りつぶされ最近剥がれて見えるようになりました。
↑こちらが中央部の十字路回廊付近に書かれている落書きです。何て書いてあるのか分かりづらいけど、確かに漢字のような文字が見えます。日本人による墨書の落書きは10箇所以上もあり、右近太夫の他にも多くの日本人が訪れ落書きを書いたようです。
それにしても右近太夫も含め江戸時代に何故?カンボジアに来たかと言うと、その当時アンコールワットが仏教の聖地「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」と間違えた情報が伝えられており、参拝目的で訪れたのではと言われています。
※祇園精舎とは?:中インドのコーサラ国首都シュラーヴァスティーにあった寺院で、釈迦が説法を行った場所であり、天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の1つである。
【森本右近太夫が書いた墨書の内容】
「寛永九年正月に初めて此所に来る。生国日本、肥州の住人、藤原の朝臣森本右近太夫一房、御堂を心がけ、数千里の海上を渡り、一念の儀を念じ、生々世々裟婆寿世の思いを清める者なり。其の為に仏四体を奉るものなり。摂州津国池田の住人森本儀太夫右実名一吉、善魂道仙士、裟婆の為に是を書くものなり。尾州の国名谷の都、後、其の室老母の亡魂、明信大姉の後世の為に是を書くものなり。寛永九年正月廿日」
アンコール・ワットの中心部の床石に四角い石が埋め込まれた場所がありました。たしかパワーを頂ける場所とガイドさんは何て言っていたような「・・・?」(※間違えていたらゴメンナサイ)
第3回廊へ登る階段です。急な階段なので手すりが取り付けてありましたが、それでも怖い!!階段の登り口付近に係員が待機しているテントがあり、そこに帽子は脱ぐような絵が書かれていました。第3回廊は神様に一番近づく場所なので、失礼のないように帽子は取るようです。
以前は手すりもなかったので転落する人も多くいたようです。何故こんなに急な階段を作ったかと言うと、第3回廊には神様が居るため、敬意を表し自然と頭を下げる格好になるよう、この様な急な階段にしたと言われています。高所恐怖所の人は特に下りが怖いと思うので、後ろの人の事は考えず渋滞して気にせずユックリ下りてきて下さい。
第3回廊頂上からの眺めです。丸く見えるのは気球(アンコールバルーン)です。上空200mの位置まで登り空からアンコール遺跡群を見る事が出来ます。
中央祠堂の建物は装飾が見事ですが、これがクレール王朝時代に作られているんですよね。スーリヤヴァルマン2世の時代にこれだけの建物を作れるなんて、よっぽど繁栄していたんでしょうね。
第三回廊内には様々な仏像は祭られていて、信者の方が熱心に祈りを捧げている横で記念撮影をするのは気が引けます。
アンコールワットの敷地には沢山の猿が住んでします。人間に慣れているのか、近づいても逃げません。
アンコールワットから車で5分程のプノンバケンに来ました。夕日が有名な場所なので観光客も大勢いて、それに伴いポストカードなどを売る人も大勢いました。象に乗って頂上付近まで行く事もできます。
登山道の様な道を登って行きますが、ショートパンツの人は止められていました。頂上でも肩を出していた人が上着を着るよう注意されていたので、服装は注意して下さい。
20分ほど山道を登りプノンバケン入口に到着しましたが、何だか雲行きが怪しい!こんなんで綺麗な夕日が見れるのかな?プノンバケンの山頂の遺跡は入場制限(300人まで)が設けられています。そして17:30頃になると、頂上に登るこちらの階段入口がクローズされてしまいます。
階段を登り頂上に辿り着くと、大勢の人々が夕日を見るのに待機していました。日が傾いても、まだまだ高い気温にグッタリです。
夕日が見れないのは確定なので、早めに下山する事にしました。今回のアンコールワット+夕日鑑賞ツアーはこれで終了です。気温が高かった事で説明を聞いても身が入らなかったけど、1度目はアンコールワットの詳しい説明を日本語で聞き、2度目は個人でユックリ回る方が楽しめると思いますよ。
<<アンコールワット+夕日鑑賞ツアーに参加しました(前編)
第3回廊はカンボジアの暦で定められた仏教の日(1ヵ月に4~5日)は登ることができません。ちなみに該当日は第三回廊の見学は不可となりますので、ご注意ください。
2015年の仏教の日は下記の通りです。
■ 2015年仏教の日
1月 --- 04、12、19、27日
2月 --- 03、11、17、25日
3月 --- 04、12、19、27日
4月 --- 03、11、17、25日
5月 --- 02、10、17、25日
6月 --- 01、09、15、23、30日
7月 --- 08、15、23、30日
8月 --- 07、14、22、29日
9月 --- 06、12、20、27日
10月 --- 05、12、20、27日
11月 --- 04、10、18、25日
12月 --- 03、10、18、25日
【関連ブログ】
朝焼けのアンコールワット鑑賞は早起きが必須!!
アンコールワット+夕日鑑賞ツアーに参加しました(前編)
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トゥクトゥクドライバーのMENGさん
IKTT/クメール伝統織物研究所でお買物
シェムリアップのラッキーモールでお買い物
シェムリアップのシバサ・ロードでお買い物
シェムリアップのナイトマーケットの楽しみ方
カンボジア・シェムリアップへ行く前に知っておきたい事
ソカ・アンコールリゾートのデラックスプールビューに泊まる
【番外編】
トランジットでプチ旅行 in 韓国・仁川国際空港
※シェムリアップ⇒成田空港へ戻る途中、トランジットを利用してソウル観光をしました。
寛永9年(1632年)にカンボジアに渡った理由としては『父の菩提を弔い、年老いた母の後生を祈念するため』と言われていますが、1632年と言えば徳川秀忠が病死し家光の政治が始まった時代です。前年に朱印船に乗る事ができたのでは無いかと推測されますが、もちろん直行便がある訳でもなく何度も船を乗り換え数か月かかってカンボジアに到着したのでしょう。
1633年から鎖国政策と海外渡航の禁止が始まったので海外に行くには調度良いタイミングだったけど、帰国直後から始まった鎖国政策のため渡航した事がバレないよう名前も変え、晩年はひっそりと生活していたと言われています。
森本氏の落書きは全部で3箇所に書いたと言われていますが、カンボジア内戦時にペンキで塗りつぶされ最近剥がれて見えるようになりました。
↑こちらが中央部の十字路回廊付近に書かれている落書きです。何て書いてあるのか分かりづらいけど、確かに漢字のような文字が見えます。日本人による墨書の落書きは10箇所以上もあり、右近太夫の他にも多くの日本人が訪れ落書きを書いたようです。
それにしても右近太夫も含め江戸時代に何故?カンボジアに来たかと言うと、その当時アンコールワットが仏教の聖地「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」と間違えた情報が伝えられており、参拝目的で訪れたのではと言われています。
※祇園精舎とは?:中インドのコーサラ国首都シュラーヴァスティーにあった寺院で、釈迦が説法を行った場所であり、天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の1つである。
【森本右近太夫が書いた墨書の内容】
「寛永九年正月に初めて此所に来る。生国日本、肥州の住人、藤原の朝臣森本右近太夫一房、御堂を心がけ、数千里の海上を渡り、一念の儀を念じ、生々世々裟婆寿世の思いを清める者なり。其の為に仏四体を奉るものなり。摂州津国池田の住人森本儀太夫右実名一吉、善魂道仙士、裟婆の為に是を書くものなり。尾州の国名谷の都、後、其の室老母の亡魂、明信大姉の後世の為に是を書くものなり。寛永九年正月廿日」
アンコール・ワットの中心部の床石に四角い石が埋め込まれた場所がありました。たしかパワーを頂ける場所とガイドさんは何て言っていたような「・・・?」(※間違えていたらゴメンナサイ)
第3回廊へ登る階段です。急な階段なので手すりが取り付けてありましたが、それでも怖い!!階段の登り口付近に係員が待機しているテントがあり、そこに帽子は脱ぐような絵が書かれていました。第3回廊は神様に一番近づく場所なので、失礼のないように帽子は取るようです。
以前は手すりもなかったので転落する人も多くいたようです。何故こんなに急な階段を作ったかと言うと、第3回廊には神様が居るため、敬意を表し自然と頭を下げる格好になるよう、この様な急な階段にしたと言われています。高所恐怖所の人は特に下りが怖いと思うので、後ろの人の事は考えず渋滞して気にせずユックリ下りてきて下さい。
第3回廊頂上からの眺めです。丸く見えるのは気球(アンコールバルーン)です。上空200mの位置まで登り空からアンコール遺跡群を見る事が出来ます。
この広いスペースは『沐浴池跡』ですが、どうやって水を運び上げたのでしょう?
中央祠堂の建物は装飾が見事ですが、これがクレール王朝時代に作られているんですよね。スーリヤヴァルマン2世の時代にこれだけの建物を作れるなんて、よっぽど繁栄していたんでしょうね。
第三回廊内には様々な仏像は祭られていて、信者の方が熱心に祈りを捧げている横で記念撮影をするのは気が引けます。
アンコールワットの敷地には沢山の猿が住んでします。人間に慣れているのか、近づいても逃げません。
アンコールワットから車で5分程のプノンバケンに来ました。夕日が有名な場所なので観光客も大勢いて、それに伴いポストカードなどを売る人も大勢いました。象に乗って頂上付近まで行く事もできます。
登山道の様な道を登って行きますが、ショートパンツの人は止められていました。頂上でも肩を出していた人が上着を着るよう注意されていたので、服装は注意して下さい。
左側が象が歩く道です。
20分ほど山道を登りプノンバケン入口に到着しましたが、何だか雲行きが怪しい!こんなんで綺麗な夕日が見れるのかな?プノンバケンの山頂の遺跡は入場制限(300人まで)が設けられています。そして17:30頃になると、頂上に登るこちらの階段入口がクローズされてしまいます。
階段を登り頂上に辿り着くと、大勢の人々が夕日を見るのに待機していました。日が傾いても、まだまだ高い気温にグッタリです。
雲が多く、もしかして夕日は見れないかも?…結果は見れませんでした。
夕日が見れないのは確定なので、早めに下山する事にしました。今回のアンコールワット+夕日鑑賞ツアーはこれで終了です。気温が高かった事で説明を聞いても身が入らなかったけど、1度目はアンコールワットの詳しい説明を日本語で聞き、2度目は個人でユックリ回る方が楽しめると思いますよ。
<<アンコールワット+夕日鑑賞ツアーに参加しました(前編)
第3回廊はカンボジアの暦で定められた仏教の日(1ヵ月に4~5日)は登ることができません。ちなみに該当日は第三回廊の見学は不可となりますので、ご注意ください。
2015年の仏教の日は下記の通りです。
■ 2015年仏教の日
1月 --- 04、12、19、27日
2月 --- 03、11、17、25日
3月 --- 04、12、19、27日
4月 --- 03、11、17、25日
5月 --- 02、10、17、25日
6月 --- 01、09、15、23、30日
7月 --- 08、15、23、30日
8月 --- 07、14、22、29日
9月 --- 06、12、20、27日
10月 --- 05、12、20、27日
11月 --- 04、10、18、25日
12月 --- 03、10、18、25日
【関連ブログ】
朝焼けのアンコールワット鑑賞は早起きが必須!!
アンコールワット+夕日鑑賞ツアーに参加しました(前編)
アンコール・トム&象乗り半日ツアー参加しました。
巨大なガジュマルに浸食されたタ・プローム
ロリュオス遺跡群の3箇所の寺院を訪ねて
バンテアイ・スレイの「東洋のモナリザ」は遠かった!
荒廃した遺跡・崩壊が進んだベンメリア寺院
トゥクトゥクドライバーのMENGさん
IKTT/クメール伝統織物研究所でお買物
シェムリアップのラッキーモールでお買い物
シェムリアップのシバサ・ロードでお買い物
シェムリアップのナイトマーケットの楽しみ方
カンボジア・シェムリアップへ行く前に知っておきたい事
ソカ・アンコールリゾートのデラックスプールビューに泊まる
【番外編】
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※シェムリアップ⇒成田空港へ戻る途中、トランジットを利用してソウル観光をしました。